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zoom RSS この左京が瀬踏みをいたす、皆々様ついてお出でなされ―黒住宗忠(黒住教)

<<   作成日時 : 2010/06/24 18:03   >>

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以下、小泉八雲さんの著書「神々の国の首都」(講談社学術文庫)
より抜粋です。

・・・(略)・・・
私のところの庭に面した川岸から拍手を打つ音が聞こえてくる。・・・(略)・・・
彼等は手と顔を洗い、口をすすぐ。
これは神式のお祈りをする前に人々が決まってする清めの手続きである。
それから彼等は日の昇る方向に顔をむけて拍手を四たび打ち、続いて祈る。・・・(略)・・・
突っ立ったまま黄金色に輝く東方にむかって何度も額ずく。
今や拍手の音はますます数を加える。
パンパンと鳴るその音はまるで一続きの一斉射撃かと思われるほどに激しさを増す。
と言うのは、人々は皆お日様、光の女君であられる天照大神にご挨拶申し上げているのである。
「こんにちさま。日の神様、今日も御機嫌麗しくあられませ。世の中を美しくなさいます光千万有難う存じまする」
たとえ口には出さずとも数えきれない人々の心がそんな祈りの言葉をささげているのを私は疑わない。・・・(略)・・・すべての人は―何しろ日本でも最も古くから開けたこの地方のこととて、仏教徒は誰でも同時に神道信奉者でもあるから―神道のお祈りの古い言い回しの「祓い給え、清め給えと、神忌み給え」をいつでも唱える。
お祈りを捧げる相手は仏教伝来以前にこの豊葦原の国に勢力を振るっていた神々、殊に当地八雲立つ出雲の国では今なお勢力を振るっている神々である。・・・(略)・・・
又その神々の後から現われなすった力強く姿麗しい神々、この国を造られ、山々や島々を造られた神々で、その血筋は今なお「日継ぎ」と呼ばれている天皇家の先祖の方々へのお祈りが捧げられる。
又お祈りは「国の尻、道の果てにまで住み給う」三千の神々と青く澄んだ高天の原に住まわれる八百万の神々―つまりは「日本国中八百万の神々様」に向かって捧げられる。


この当時には全国津々浦々で、黒住教でいう日拝が自然に行われていたようです。

又、日本人にはごく当たり前の「初日の出」はwikiによれば

四方拝という天皇の元旦の儀式が始まりで、それが庶民の間に現在の形で広まり、初日の出を拝むという習慣になった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E6%97%A5%E3%81%AE%E5%87%BAより

とありますように、宮中祭祀に起源があるようです。
又、国旗が「日の丸」、国名も「日の本」の日本、そういう意味では、日本人にとっては「太陽」は切っても切れない関係であるともいえます。

このお日様、お天道様を拝むことで、病気も治り、その上、神人同一になられたというお陰をいただいた方が黒住宗忠師です。

文化九年(一八一二)の秋、通り魔のように襲った疾病は、右源次(宗忠)様からご両親をつかのまに奪い去ってしまった。・・・(略)・・・
右源次様は三十三歳であった・・・(略)・・・
わずか七日の間に、一時にご両親を失われたことは、そのお悲しみは想像を越えるものであった。・・・(略)・・・
日に何回となくお墓へお参りになる。
ある日の如きはお墓で、悲しみの余り気絶して倒れておいでになったこともあった。
またご両親の衣類を出して、ひそかにその遺香を嗅いでなつかしまれ、雨戸にもたれて空を仰いで放心しておられるという具合で、まことに傷心やる方なく、悶々として日を送られる中、翌十年の秋からは、遂に病床につかれることになった。・・・(略)・・・
今の肺結核であった。
そして年を越して文化十一年(一八一四)を迎える、・・・(略)・・・
足かけ三年の病は、文字通り不治の病となり、ここに三十五歳をもってご昇天になるかと思われるに至ったのである。・・・(略)・・・
この上は、死んで神となり、世の人々を救ってやろうと心に誓い、この世のお別れに、お日様を拝み、天神地祇、八百万神、つぎに祖先、ご両親の霊を拝し、この世に生まれ来て、今日までお生かしを頂いたご恩を深く感謝し、お礼を申上げられた。
そしてもはや何の心置きもなくなった。
もとより縁側近くまで、看護の人々の手をかりて最後のご日拝をなさったのである。・・・(略)・・・
と天恩の有り難さに心をお向けになると、ふしぎにその時を境にして、さしもの病気も軽くなったように思われた。・・・(略)・・・
この時のご拝を第一次ご拝と申上げている。・・・(略)・・・
見るにつけ聞くにつけ、天恩の有り難きことを思い、ひたすら心を以って心を養い給いしより、日々にうす紙をへぐが如く快方にむかわせ給う。・・・(略)・・・
一日二日と日を経るままに、次第次第に快方に向かわれたのであるが、やがて三月十九日のこと、まだ病臥の床にあった右源次様が、突然入浴してご日拝をすると言い出されたのである。・・・(略)・・・
感謝と感激に満ちたご日拝であった。
この日を境に、一年以上にわたる病床生活とは終に別れをおつげになり、ご病気は全快したのである。・・(略)・・・
このご拝を第二次ご拝と申上げる。・・・(略)・・・
文化十一年(一八一四)十一月十一日、冬至の朝、改めてご日拝をしておられて最中の出来事であった。
思えば、今日の冬至更始一新のめでたきよき日であり、我が誕生日でもある。・・・(略)・・・この日のご日拝は格別入念に有り難くおつとめになり、一心不乱になってお礼を申し上げ、お祈りを捧げておられた時に、・・・(略)・・・
突然天地を貫く一条の白光燦として胸を貫いたかに思われた瞬間、心身共に太陽の太陽気に包まれ、有り難さの余り思わず口を開いて日光を呑み込んでしまったところ、不思議なるかな、大日輪が飛んで胸中に入り、日輪と我と、我と日輪と全く一つになり、恍惚無我の間に、神人不二一体の妙理を将悟し、生々無窮、天地と共に生き通しの大道を自得し給うたのである。


「黒住教教祖伝」(黒住日新社)より

今、重病で、大祓詞を奏上できるような状況ではないという方もいらっしゃると思いますが、以上の黒住宗忠師の御瀬踏みを信じて、まずは日拝からはじめてみてはいかがでしょうか。

見るにつけ聞くにつけ、天恩の有り難きことを思い、ひたすら心を以って心を養い給いしより、日々にうす紙をへぐが如く快方にむかわせ給う。

と以上の文中にありますが、有り難い気持で日拝をし続ければ、固く凍てついた氷が、太陽の光によって溶けて水になるように、、いつの日にかは陰気、我で凝り固まった心も自然に柔らかく、何ものにもとらわれない無我の心になり、その結果、病気も治り、人生も開運していくのではないでしょうか。


この左京が瀬踏みをいたす、皆々様ついてお出でなされ。
畏(おそれ)れながら、高天原まで、御案内を仕る。


この方、畏(かしこ)き自然の天命を蒙りて、神国生々の大道を説く。この黒住宗忠を師と慕う者は決して見殺しにはせぬ!!

毎朝毎朝、生まれかわった心地で日拝をせよ。

神を拝むには、時刻に拘わらず、朝日に向かう心にて拝むべし。

「生きる教え」黒住教日新社より

ちなみに「瀬踏み」の意味は

(1)ある物事をする前に、ちょっと試してみること。
(2)川を渡る前に瀬が浅いか深いか、あらかじめ調べてみること。

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/108724/m0u/%E7%80%AC%E8%B8%8F%E3%81%BF/?SH=1

とあります。

「黒住教教祖伝」「教祖様の御逸話」「生きる教え」 (黒住教日新社)の3冊は、黒住宗忠師の御瀬踏みを学ばせていただくのには最適な本で、おすすめです。

黒住教日新社

http://www.kurozumikyo.com/books/index.html



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