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zoom RSS 松下幸之助の天皇観−3

<<   作成日時 : 2006/12/18 05:19   >>

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建国の祖としての権威、徳による権威は、わが国の国家存亡という非常時にあって、きわめて大きな力となったわけです。その一つは明治維新です。明治維新はゆきづまっていた封建時代から、新しい近代的な日本を誕生させた大きな歴史の転換期であったと思います。当時欧米の先進諸国は次つぎと東洋に進出し、そのためアジアの各国はみなといっていいほど植民地化しつつあったわけです。その中で日本は、国内に、旧来の徳川幕府を守り、これを中心に近代化を進めていこうという人びとと、幕府を倒して新しい秩序を生み出さなくてはならないとする人びとがあり、その対立が外国の介入をも招きかねないというきわめて危険な状態でした。一歩誤れば、日本も国内が分裂し、そこから他の国ぐに同様、植民地化していたかもしれません。しかし、幸いにしてそういう姿に陥らずにすんだのです。それは、当時わずかに十六歳であった明治天皇の徳川将軍が大政を奉還するというかたちにおいて、いわば平和のうちに一大改革がなしとげられてのです。もちろん、明治維新に際しては各地でいくつかの戦闘がありました。けれども、民主主義の進んだ時代ならともかく、まだ武力を中心とする気風の強かった封建時代にあって、全体としてはあれだけ平和裡に大きな改革が行われ、政権が変わったことは、むしろ特筆すべきことではないかと思います。それは維新の志士をはじめ当時の人びとが、自分の家、自分の藩、自分の幕府ということだけにとらわれず、日本のためにということを考えて行動したからでしょう。そこに一つの日本のよき伝統が働いたのだと思いますが、それもやはり中心となるべき天皇というものがあったればこそではないでしょうか。これがもし天皇というものがなく、単に徳川幕府とそれに反対する勢力の争いであったならば、ともに相手を倒すまで戦いぬこうとし、さらにそこに列国の干渉が加わったりして、日本は植民地化するなどといった大変な姿になったかもしれません。それが、幕府に反対する人びとはもちろん、将軍自体に、精神的中心である天皇には恭順の意を表するという気持ちがあったればこそ、大政奉還ということになったのだと考えられます。そして、その明治維新を新しい出発点として、日本は明治天皇を中心に、国民一致のもとに力強い国家活動を重ねたわけです。明治の政治というものは、天皇を中心とした、いわゆる立憲君主政治です。しかし形の上ではそうであっても、実際は天皇の独裁ではなく、民主政治としての色彩のつよいものがあったと思います。明治維新にあたって発表された、五箇条の御誓文は明治の政治の基本的な考え方を示したものだといわれますが、その最初に「広く会議を興し、万機公論に決すべし」とうたっています。これは民主主義の理念をあらわしていると思うのです。
                                   「日本と日本人について」PHPより

聖徳太子が17条憲法の1条に「和をもって尊しとなす」とあります。
日の本神国は、一名大和(やまと)とも言いますが、明治元年3月14日(1868年4月6日)に明治天皇がお示しになられました明治政府の基本方針であります五箇条の御誓文の精神といい、建国以来、連綿と大きな和をもっとも重んじる平和の思想を持った民族と言えるのではないでしょうか。

夏四月の丙寅の朔戊辰の日に、皇太子、親ら肇めて憲法十七條(いつくしきのりとをあまりななをち)つくりたまふ。
一に曰く、和(やわら)ぐを以て貴(たっと)しとし、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党有り、(略)
二に曰く、篤(あつく)く三宝を敬へ。三宝はとは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。すなわち四生の終帰、万国の極宗なり。はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか柱かる直さん。
三に曰く、詔を承りては必ず謹(つつし)め、君をば天(あめ)とす、臣をば地(つち)とす。天覆い、地載せて、四の時順り行き、万気通ずるを得るなり。地天を覆わんと欲せば、則ち壊るることを致さんのみ。こころもって君言えば臣承(うけたま)わり、上行けば下…(略)
四に曰く、群臣百寮、礼を以て本とせよ。其れ民を治むるが本、必ず礼にあり。上礼なきときは、下斉(ととのわ)ず。下礼無きときは、必ず罪有り。ここをもって群臣礼あれば位次乱れず、百姓礼あれば、国家自(みず)から治まる。
五に曰く、饗を絶ち欲することを棄て、明に訴訟を弁(さだ)めよ。(略)
六に曰く、悪しきを懲らし善(ほまれ)を勧むるは、古の良き典(のり)なり。(略)
七に曰く、人各(おのおの)任(よさ)有り。(略)
八に曰く、群卿百寮、早朝晏(おそく)退でよ。(略)
九に曰く、信は是義の本なり。(略)
十に曰く、忿(こころのいかり)を絶ちて、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違うことを怒らざれ。人皆心あり。心おのおのの執れることあり。かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。(略)
十一に曰く、功と過(あやまち)を明らかに察(み)て、賞罰を必ず当てよ。(略)
十二に曰く、国司(くにのみこともち)・国造(くにのみやつこ)、百姓(おおみたから)に収斂()することなかれ。国に二君非(な)く、民に両主無し、率土(くにのうち)の兆民(おおみたから)、王(きみ)を以って主と為す。(略)
十三に曰く、諸の官に任せる者は、同じく職掌を知れ。(略)
十四に曰く、群臣百寮、嫉み妬むこと有ることこと無かれ。(略)
十五に曰く、私を背きて公に向くは、是臣が道なり。(略)
十六に曰く、民を使うに時を以てするは、古の良き典なり。(略)
十七に曰く、夫れ事独り断むべからず。必ず衆(もろもろ)とともに宜しく論(あげつら)ふべし。(略)
(『日本書紀』第二十二巻 豊御食炊屋姫天皇 推古天皇十二年)(ウイキより)

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