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zoom RSS 宗忠大明神は天照大御神ご寵愛の神になった―山田雅晴

<<   作成日時 : 2009/11/24 11:39   >>

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ここで、神になってからの宗忠についての興味深い話をご紹介しましょう。
宗忠は伊勢神宮に生涯六度参拝し、その度に天照太神とお目通りしたということですが、彼は死後、天照太神の御寵愛の神となられたというのです。
 『近代日本霊異実録』(笠井鎮夫著、山雅房)に『黒住教幽冥談』の抜粋が掲載されています。
恒原松太郎という神通力者(霊能者)の体験談を、小野当以という人が松太郎の老母から直接聞いたものを筆録したもので、明治四年から同一六年までに実際に起こった事柄であるとしています。
松太郎は天満宮さま(菅原道真公)に仕えて、一六歳から一一年間の御用をして、幽冥(霊界)に通っていました。
松太郎は霊界探訪者として評判になり、神道管領の吉田家から真偽の調査を受けることになりますが、その審神法(サニワ)にもパスしています。
松太郎によると、宗忠のお気に入りの弟子は赤木忠春で、松太郎は霊界の忠春にも会っていました。
・・・(略)・・・
「ある年、松太郎は天満宮のお供をして伊勢の大神宮に参りまして、奥の御門に入り、御本社の階段の前の岩の上に天満宮も座りました。
松太郎もその後に座りました。
天満宮さまが御拝をして拍手をしますと、お扉がキイと鳴って開き、御簾が上がりますと、中に美しい神がおわしまして、大いなる御鏡を手に持ち遊ばしています。
その左脇に年のころ七十あまりに見える、頭の光る、よく太りたる神さまがおわします。
右の脇にも美しき神さまがおわしまして、しばらくして御簾が下りて、天満宮さまについて門へ出ますと、天満宮の仰せられますに、
『中央におわしますが天照大神さま、左脇が宗忠の神さまなり』
と申されます。
松太郎は、
『その宗忠の神さまとはどういう神さまでしょうか?』
『あれは備前の国・黒住左京藤原宗忠の神にて、皇太神のご寵愛の神なり』
松太郎は、皇太神ご寵愛の神というからにはどれくらい経った神であろうかと、次のようにたずねます。
『この神さまは神と成られまして、何千年になりますか?』
すると、意外な答えが天満宮(道真公)から返ってきます。
『この神はまだ三十年あまりなる神なり』
『されば、あなた様は天満宮と成られましてから、およそ千年にも近く古くよりの神さまでありまして、三十年に成るやならぬ若き神さまが皇太神宮のお膝元の御仕えあそばすとはいかがのことでありますか?』
と驚いて尋ねると、天満宮は、
『宗忠という神は拙者などの及ばぬ大徳の神にして、そのわけは天地開けてこの方、皇太神宮の御徳を世の人に教えた神はなし。宗忠という人は現世にありし時、誠を勤めて、皇太神宮の御徳を説き教えて、人に物語りて助けし功の著大なるがゆえに、皇太神宮の御膝元に仕え召される大徳の神なり』
と仰せになられました。」
宗忠は生前、黒住左京藤原宗忠と名乗っていました。
また、宗忠は在世中に天満宮の御神号を書き、天満宮への信仰がありました。
現在、岡山の宗忠神社の境内社には天満宮が祭られています。
そういう意味では、道真に連れられた松太郎が伊勢神宮において、宗忠に会ったのは、話の筋が通っています。
・・・(略)・・・
宗忠は笑顔で陽気で前向きに生き、「人になる道が神になる道」と説きました。
それを実証したわけです。

「続・太陽の神人 黒住宗忠」たま出版より

この山田雅晴さんの「続・太陽の神人 黒住宗忠」の前著に「太陽の神人 黒住宗忠」という本がありますが、こちらは黒住宗忠師の伝記をメインに、修行法や、さまざまな奇跡のエピソードが紹介されていますが、この本の中でも

孝明天皇には次のような御製がある。

 玉鉾の道の御国にあらわれて
  日月とならぶ宗忠の神

それにしても、これらは異常な待遇というほかない。私自身、この事実を知った時、正直いって驚き、思わずうなってしまった。
皇室や公卿から見ると、たしかに宗忠や忠春の力にはたいへんすぐれたところがあったに違いないが、伝統格式からいけば彼らは田舎の神道家でしかないのである。
・・・(略)・・・
慶応元年(一八六五)四月十八日には、孝明天皇より「勅願所」の仰せがあった。
宗忠神社はついに、天皇の特別祈願を行う神社になったのである。
さらに、翌二年二月七日には「従四位下」の神階宣下があった。
この勅願は、従来の有力神社や寺院の出されたものとは違って、”実質的”な勅願所ということになる。
そして、死後十六年しかたっていない宗忠に神階の宣下までし、度々のお使いによる御代参までなされたのだから、なんとも驚くべきことである。

「太陽の神人 黒住宗忠」たま出版より


日月とならぶ宗忠の神」と孝明天皇の御製にもありますように、やはり、黒住宗忠師は、松太郎さんが神界で見た通りに、宗忠の神として、天照大御神様の御膝元でお仕えなされているのかもしれませんね。

この左京が瀬踏みをいたす、皆々様ついてお出でなされ。
畏(おそれ)れながら、高天原まで、御案内を仕る。


この方、畏(かしこ)き自然の天命を蒙りて、神国生々の大道を説く。この黒住宗忠を師と慕う者は決して見殺しにはせぬ!!
「生きる教え」黒住教日新社より

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