瑞穂の国日本

アクセスカウンタ

zoom RSS 運命の不思議さ―松下幸之助の言葉

<<   作成日時 : 2009/04/08 15:49   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

ぼくがまだ十七、八歳、電灯会社で働いていた、ちょうど時代が明治から大正に移る頃のことです。
・・・(略)・・・鰻谷というところに、住友吉左衛門さんの本邸がありました。・・・(略)・・・
この前を仕事に出かけるときよく通ったのですが、丁稚車をちょっと止めて、門の中をソッとのぞき込み、「へえー、これが住友ハンのお家か、ごっついもんやなあ」と感嘆したものです。もちろん、こんな大富豪は、ぼくとは全く無縁のものだと思っていましたし、別にうらやましいとは思いませんでした。ただ素直に驚き、感嘆していたのです。ところが、それから二十数年の歳月が流れ、ぼくの事業もかなり大きくなってきた頃、・・・(略)・・・思いもかけず住友さんからぼくたち夫婦が一夕のお招きを受けることになりました。その場所がなんと、その住友吉左衛門さんのお邸だったのです。・・・(略)・・・かつて若き日、ソッとのぞいては感嘆していたこの門を、二人は恐る恐る初めてくぐることになったのです。・・・(略)・・・うれしいというよりもお尻がムズムズするような運命の不思議を感じたのです。”父の失敗によってぼくの家は貧乏した。だからぼくはいわゆる学問というものを身につけることができなかった。おまけに生来身体が弱く、何一つよいところがなかったといえる。そんなぼくが、さまざまな困難があったとはいうものの、仕事も順調にいき、いま、若き日に一種のあこがれをいだいていた住友さんから一夕のお招きを受けている。これは不思議な縁というか、目に見えぬ運命の糸に導かれたものというほかないのではないか”・・・(略)・・・いま思えば、こういうことは言えるのかもしれません。それは、自分の運命というものを積極的に受け止め、知らず識らずのうちに前向きに生かしてきた、そのために一つの道がひらけてきたのではなかったか、ということです。つまり、家が貧しかったから丁稚奉公に出されたけれど、そのことを決して不幸なことだとは思わなかった。そのおかげで、商人としての躾を素直に受けることができたし、人情の機微も知ることができた。生来身体が弱かったけれど、身体を大事にしたし、人に頼んで仕事をしてもらうことも覚えてきた。学問がなかったので、常に誰にでも謙虚に教えを乞うてきた・・・。こうした結果、今日のぼくがあるとも考えられるのです。

「人生談義」PHP文庫より

松下幸之助さんは、貧乏で、学問もなく、病弱という、ある意味、マイナスの状況でありながらも、一代でpanasonicという世界的大企業を築きあげた経営の神様ともいわれる方ですが、もし、松下幸之助さんが「私は貧乏で、学問もなく、病弱だから」とぐじぐじと陰気に考えてたら、事業家として成功してなかったのではないかと思います。

ちなみに、黒住宗忠師は
道は生かすこと第一。

生かし上手になれ。

何事も御(おん)生かしになれば、皆いきものとなるなり。善きことは申すに及ばず、悪しきにても取りなしにて皆善きこととなるなり。御生かしなされ。皆これ天照大御神の御道なり。

一日に、百事(ひゃくこと)の内に、九十九の凶(あしき)事有りても、一つの吉(よき)事あれば、その一つの吉事を喜べば、自然と九十九の凶事も消えるものぞ。


心明らかなる時は、則ち天照大神我が一身に現れたまいて、運を添え給うこと疑いあるべからず。

兎角心を下腹に鎮めて、事に臨んで陽気自然と発する様にすれば開運せずという事なし。

いかほど道を守りても、心陰気になりては出世は出来ぬ。

「生きる教え」黒住教日新社より

と説かれています。

画像





テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
運命の不思議さ―松下幸之助の言葉 瑞穂の国日本/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる