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zoom RSS 我のない心こそ神の心ー黒住宗忠の教え(黒住教)

<<   作成日時 : 2007/06/02 06:07   >>

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我を離れよ
無念になれ。−無欲になれ。−足る事を知れ。
人智を去れよ。ー邪智を捨てよ。
身も我も心も捨てて天地(あめつち)のたった一つの誠ばかりに
我というもの無き時は、畏れながら、天の心も我が心も隔てなし。−我を離れたる「誠」の本体が、すぐに神!

(以上、「生きる教え」黒住教日新社より)

と黒住宗忠さんは無念、無欲になり、人智を去り、我を離れれば、その心こそ神の心であると説かれています。では、いかに無我、離我の境地に至るかですが

「感謝」
我を離れよと申しても、初めての人は合点がいくまい。−手に持てるものを放すのではない。我を離れるのは、一切を天の物と心得る事なり。−あるいは着物を着るにも、我がこしらえた着物だと思うと有り難くなし。これは天より我れに着せて下さる、有り難い事だと喜んで、一切、天の物と心得て有り難くなれば、我が離れる。
(以上、「生きる教え」黒住教日新社より)

「祓」
妄念を祓え。−雑念を祓え。−悪念を祓え。ー邪念を祓え。・・・善念をも祓えよ。
有るものは皆吹き祓え 大空の無きこそ己が住所(すみか)なりけれ
物事の執着を去るが祓いの要なり。
弥々(いよいよ)もって、大御神様にお任せして、万事少しも気づかいなしと決定(けつじょう)す。−その心がすぐに祓いなり。
敵は外になし、一切、我が形の中(うち)に住居(すまい)するものなり。よくよく詮索して体中の敵、心中の魔を追い祓うが修行の肝要なり。
一心無我にして、祓修行をする時は、即ち「天心」なり。「天心」の本は、即ち、日の御神なり。
元来、日月より来たれる人なれば、よく一切を祓うて「我」なき場に立ち至る事ができるなり。その我無きが誠の人なり。

(以上、「生きる教え」黒住教日新社より)

と以上「感謝」と「祓」によって我を離れることができると教えられています。特に「祓」については、以下のお言葉にもありますように、懈怠なく寝ても覚めても常祓いに祓えよ、と説かれています。

明け暮れ、ただ我を離れる事ばかり修行せよ。
時々刻々に常祓いに祓えよ。
寝ても覚めても心の祓い一筋に、懈怠なく祓えば我なき所に至る。−我なきが、日月一体の真の人なり。
人の心は、もったいなくも、大御神様の御分霊(みわけみたま)なり、ご分心なり。罪を祓い、我を祓うて清浄無我の場に至れば、すぐに神なり。ー人々直ちに神の一柱なり。有り難き御事ならずや。されば、時々刻々に、神と離れぬようにせねばならぬ。隔てのなきようにせねばならぬ。それが何より肝要な道の修行なり!!
祓いは祓いなり。−有るものをば祓い去って無に至るなり。−心中一念欲せんとするや、善悪ともに、祓えに祓い、一物も止めず祓い去る事なり。これ常祓いなり。この心一日もやまざれば即ち無に至るなり。無に至りてなおやまざれば、有り難く、嬉しく、面白き事の、言外にたとえをもって言出しがたきほどの妙味あり。是れ即ち「天心」に至るなり。

(以上、「生きる教え」黒住教日新社より)

日本神道では昔から勾玉、剣、鏡を三種の神器として尊んできました。その中で鏡はご神体とし、祭られてきました。このご神体である鏡「かがみ」の「が」(我)をとると「かみ」(神)となります。
黒住宗忠さんも「人の心は、もったいなくも、大御神様の御分霊(みわけみたま)なり、ご分心なり。罪を祓い、我を祓うて清浄無我の場に至れば、すぐに神なり。」
と仰られていますが、罪を祓い、我を祓った清浄無我の心が神なのです。
部屋を掃除するように、心も掃除(祓い)をし、心の汚れ、ほこり(私心私欲、先入観、妄念、雑念など)をとり、きれいにし、神様の心に近づくことができれば、その結果、自然に人生も開運していくのではないでしょうか。心の汚れ、ほこり(私心私欲、先入観、妄念、雑念など)がこびりついては人生開運ができにくくなります。そうならないためにも明日からでも心の掃除(祓い)をしてみませんか。

黒住教日新社
http://www1.odn.ne.jp/kurozumi-tok/bookgaid.htm


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