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黒住宗忠さんは「祈り」の功徳について 何事も心に成就する時は形に成就するものなり。 誠の祈りにて叶わぬことなり。 「生きる教え」黒住教日新社より と説かれています。 但し、以下の二つの条件を満たさなくては祈りても功徳は少ないとも説かれています。 二つの条件とは、まずは @身の行いを正すこと 祈る事は、日々の罪を悔み、今後、悪を作るまじき由を誓文に立つるなり。神も、天命あるものを助け給うことは、その身の行いなくては叶わぬことなり。 真実の祈りは、身の所作にあり。 「生きる教え」黒住教日新社より そして二つ目は A疑いを捨て、絶対信の気持ちで心強く祈ること 精根弱くては祈りても神徳薄し。 臆病を去れ。臆病と疑いが去らねばおかげは現れぬぞ。 心の棒の太き家は動かぬ。 何事も大丈夫と一心に据えよ。 悪人と申す者は心の強きものにて心の力余るゆえ、その余るだけのものが悪をいたすなり。その悪を止めれば本当の善人なり。今、善人と申すは心弱き者ゆえ、悪をもようせぬなり。強き所を悪人に学んで、我が正しき道を守らば、それが真の道人なり。 誠の本体は天照大御神の御心なり。その有り難き事を一筋に思い万事御任せ申し上げ、これにて何事も気づかいなしと疑いを離れれば直ちにおかげは目の前に現れるなり。 「生きる教え」黒住教日新社より 昔から日本の風習として、よく大願成就のために、酒立ちとか禁欲をし、三七、二十一日参りなどがありますが、以上の黒住宗忠さんの教えからいっても、案外理に適っていたのかもしれません。もちろん、祈りの功徳が通じ、おかげをいただきましたら、必ず願掛けをした神社、もしくはお近くの黒住教の教会へのお礼参りは欠かさないようにお願いいたします。 身のつらき時には神がこいしくて 助けられては神はそちよれ それでは天が許し給わず。御油断あるべからず。 「生きる教え」黒住教日新社より 黒住教日新社 http://www1.odn.ne.jp/kurozumi-tok/bookgaid.htm ![]() |
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